大己貴神社

神社のご案内

【延喜式神名帳】
 筑前國夜須郡 一座〔小〕
 於保奈牟智神社(おほなむちのかみのやしろ)

  • 神社名:大己貴神社
  • 神社名カナ:オオナムチジンジャ
  • 鎮座地:〒838-0811 福岡県朝倉郡筑前町弥永697-3地図はこちら

御祭神

大己貴命、天照皇大神、春日大明神

由緒

地元では「オンガサマ」と呼び親しまれています。このお宮は神功皇后の伝承地で、皇后
が新羅(大陸)との戦のとき、兵が集まり難かったので、兵が集まるように社を建てて
祈願したとのことです。このときの社が、この神社であるとされ、我が国で最も古い神社
とされています。
社殿・拝殿は町の重要文化財に指定され、江戸時代末期から明治初期の建造物で、原形は
八幡造でしょう。二棟の切妻造、平入りの建物が前後に接続した形をしています。しかし
、建物の中間に石の間をおき、前面の建物が拝殿、後ろの建物が神座です。拝殿には唐破
風の向拝がついています。
  平成21年3月
                                筑前町教育委員会 
                               「境内案内板」より

       
式内社で『延喜式神名帳』に「於保奈牟智神社」と記載されている。『日本書記』による
と「仲哀天皇九年秋九月庚午朔己卯、神功皇后諸国に令して、船舶を集め、兵甲を練らる
。時に軍卒つとひかたし。皇后の曰、必神の心ならんとて、大三輪社を立て、以て刀矛を
奉り玉ひしかは、軍衆自聚る」と神功皇后とこの神社との説話が記されている。また、江
戸時代の『筑前国続風土記』の中に「九月二十三日祭禮あり。此日神輿御神幸あり。御旅
所は村の西十町計にさやのもとと云う所あり。(中略)」然れ共夜須郡東部の総社なれは
、其敷地広く、産子殊に多くして、人の尊敬浅からず。」現在、10月23日の秋季例祭
の記載がある。
同じく江戸時代の『太宰府管内志』の中の「筑前神社志に皇后(神功皇后)より後に嵯峨
天皇弘仁二年勅願有て御建立あり其後六百六十一年を経て後の土御門院文明三年勅願とし
て御建立あり其間数度造替ありといへども詳らかならず伝われる縁起記録類は天正年中兵
火にかかりて尽く焼失す天正十五年より九十六年の間かり殿に居ましける寛文十二年石鳥
居建立祭禮信幸の儀式同十三年に再興す本社貞享四年改造す拝殿は元禄五年建立同六年
社領少黒田甲斐守寄附し給へり。神職松木氏先祖より寛永二年まで六十二代相続せり」と
ある。
また、『筑前国続風土記附録』に「此村及び甘木。隈江・楢原。甘水・持丸・菩提寺・
千代丸。牛木・馬田・高田・野町・依井・大塚すへて十四村の産神にして。夜須郡の惣社
也。」とある。
  
 
                               「境内案内板」より

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