月讀神社
神社のご案内
【延喜式神名帳】
壹岐嶋壹岐郡(いきのしまいきのこほり)
月讀神社(つきよみのかみのやしろ)〔名神大〕
- 神社名:月讀神社
- 神社名カナ:ツキヨミジンジャ
- 鎮座地:〒811-5732 壱岐市芦辺町国分東触464(地図はこちら)
御祭神
月夜見尊
月弓尊
月讀尊
由緒
一、顕(けん)宋(しょう)天皇(てんのう)三年(四八七年)阿閉(あへの)臣事代(おみのこと
しろ)という官吏(かんり)が天皇の命を受けて朝鮮半島の任那(みまな)に使いに出る
。その際に人に月の神が神がかりしまして「土地を月の神に奉献せよ、そうすれば
良いことがあろう」という詫宣があった。それを朝廷に奏したところ、これを受け
た朝廷は壱岐県(いきのあがた)主(にし)の押見宿禰(おしみのすくね)に命じて、壱岐
の月読神社から分霊(ぶんれい)させ京都に祀らせた。
一、舒(じょ)明天皇(めいてんのう)二年壱岐の公(きみ)乙(お)等(と)を筑紫の伊都に遣わ
し神石を求め、一つを京都の月読神社に納める。この石はその昔、神功皇后が
月神の教えによりお産を延ばされた事で「月延べ石」と名づけられた。その石は、
今伊都の鎮懐石八幡宮と壱岐の月読神社にあると言われている。
一、 文武天皇大宝元年初めて行幸あり、神石をご覧になられ、壱岐古麻呂に命じて幣帛
を奉納し神税を古麻呂に給う。
一、宝(ほう)亀(き)三十三年暴風雨で木や家が倒れた。これを占うと月読神の崇りであっ
た。そこで忌部正美が奏じ、神島の大中臣清麻呂を山城・壱岐・伊勢にある月読神社
に遣わして神の怒りを鎮めた。
一、國分郷古木村清月に社在り、延宝四年(一六九二)六月朔日建立拝殿の内に石のご御
殿有り、拝殿は西北西向きで芧葺き梁行二間、桁行二間半である。境内は、東西二五
間余り、南北三一間余り、周囲一町一七間余り、山中山道一六間。祠菅榊原主殿藤原
正益、定祭九月二三日云々
一、霊元(れいげん)天皇(てんのう)延宝(えんぽう)四年六月朔日、松浦肥前守従五位下源
朝臣鎭保、石祠及び木鏡を寄進。[木鏡の銘]には、「奉ル備二四座ノ内月読神社御
正體木鏡一面」とあり。
『由緒書』