麻氐良布神社
神社のご案内
【延喜式神名帳】
筑前國上座郡(かみつあさくらのこほり)
麻氐良布神社(まてらふのかみのやしろ)〔小〕
- 神社名:麻氐良布神社
- 神社名カナ:マテラフジンジャ
- 鎮座地:〒838-1521 福岡県朝倉市麻氐良山(地図はこちら)
御祭神
伊弉諾尊
月夜見尊
天照大神
素盞鳴尊
蛭子尊
由緒
~由諸ある麻氐良布神社と神霊的遷座祭~
平安時代に延喜式神名帳という本が出来た。その中に、「上座郡麻氐良布神社小一座」
と記載されている。時代は下がって、打ち続く戦乱時代に、社地は没収され、社殿も荒
廃を極めたが、慶長5年(1600年)に栗山備後利安が祭田を寄進し、続いて鎌田昌正が
郡主となった元録年間(1688~1703年)に本殿、拝殿を建てたとある。その後、明治、
大正、昭和と代わるにつれ、人里離れた山頂にあるため、荒れるに任せ、辛うじて3月
15日の祭札だけが続けられている。平成10年に、社殿の屋根が相当傷んでいたので神
殿を銅版に拝殿を瓦にふき替えている。その時不思議な出来事が起きている。同年、4
月21日、御神体を宝満宮にお移しする時、当日は、曇り空で小雨がパラつく程度であ
ったが、御神体を運び出そうとした時、山鳴りがしたり、同年8月27日、御神体を宝満
宮からお移しし、祠にお収めした時、「ボーン、ボーン」と云う誠に気持ちのよい明る
い音を聞き、参列者は、神様の安堵されたのかと感じ入った次第である。
『平成19年3月志波地域コミュニティ協議会』
日本書紀斉明天皇の条に、朝倉の社の木を伐り神が怒って宮殿を壊し侍臣多く疫死
天皇もまた崩御したとある。朝倉の社はこれであるといい伝えられている。近郷にお
ける高神様といって、年中参詣登山者がすこぶる多い。明治五年郷社に列した。
例祭 3月15日、10月16日
『全国神社名鑑』
アクセス
普門院(朝倉市杷木志波5376)を目指す。普門院の左手へ進む。直に農道のような小道になる。(離合不可)柿畑の中を進むと鳥居があり駐車スペースがある。そこから直の所に下宮がある。その左手の小道を進む。柿畑の中をしばらく進むと山に入る。山道は整備されており歩きやすい。下宮より上宮のある頂上まで30~40分。