阿蘇神社

神社のご案内

【延喜式神名帳】
 肥後國阿蘇郡(ひごのくにあそのこほり)
 健磐龍命神社(たけはたつのみことのかみのやしろ)〔名神大〕
 阿蘇比咩神社(あそひめのかみのやしろ)

御祭神

一の宮   健磐龍命(たけいわたつのみこと)〈神武天皇様の孫神とつたえています〉
ニの宮   阿蘇都媛命(あそつひめのみこと)〈一の宮御妃神〉
十一の宮  國造速瓶玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)〈阿蘇初代の國造〉

※阿蘇神社に祀ってある神様は全部で十三座ですが、上記の神様が特に重く祀られていま
 す。他の十座の神々は近親の神様です。

由緒

古い昔の事ですが、この阿蘇谷は満々と水をたたえた湖水でありました。
阿蘇大神健磐龍命は湖水の水を切って落して美田を開き、農耕の道を教え国土の開拓に尽
くされました。十一世紀以降、肥後一の宮と仰がれ肥後の国の総鎮守神として、広く尊崇
を受けられる様になりました。国土の開拓とは、ただ産業の振興のみならず吾々人間生活
にかかわりある交通、文化、学芸、結婚、医薬、厄除等、生活守護の神として限りない御
神徳をいただいて居ります。
阿蘇大宮司家は御祭神健磐龍命より綿々、累世、相継ぎ現大宮司は九十二代目にあたり、
皇室に次ぐ旧家として世に知られています。特に中世以降は肥後の国の大半を領有して、
皇室の為に尽すいし、御綸旨、軍忠状等の古文書も数百通保存してあり、足利尊氏の軍勢
催促状「もとどり文」等の貴重な宝物も宝蔵されて居ます。
社殿は度々の天災で焼亡しましたが、天保六年より弘化、嘉永、安政年間に至る二十年余
の歳月をかけ現在の社殿が建立されました。神殿は天保十一年より十三年にかけて三神殿
、嘉永二年に楼門が竣工しています。白木の総けやき作りで見事な彫刻がほどこしてあり
ます。楼門の規模は宏壮で神社建築には珍しく二層の屋根になっています。また、両脇門
があって神幸門・還御門といい平常は閉じているが、御田植祭の神幸の時のみ使用します
。これは皇居の制にならったと伝えられます。又拝殿・翼廊は昭和二十三年の建築です。

                                 「由緒書」より

※平成28年の地震により、楼門・拝殿が倒壊し、三つの神殿につきましても大きな被害
 を受けられました。現在、復旧工事中です。

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