與止日女神社

神社のご案内

【延喜式神名帳】
 肥前國佐嘉郡 與止日女神社(よとひめのかみのやしろ)〔小〕

  • 神社名:與止日女神社
  • 神社名カナ:ヨドヒメジンジャ
  • 鎮座地:〒840-0214 佐賀県佐賀市大和町川上1-1地図はこちら

御祭神

與止日女命(よどひめのみこと)

※與止日女命は「八幡宗廟(応神天皇)の叔母、神功皇后之妹」であり尊い神様でござい
 ます。また一説に豊玉姫命(竜宮城の乙姫様で、神武天皇の御祖母)とも伝えられてい
 ます。また水神、農業の神として、また、なまず治癒の神として信仰されています。
                                 「由緒書より」

由緒

欽明天皇二十五年(564)甲申冬十一月朔日創祀され、朝廷の御崇敬篤く、『日本三代
実録』・『延喜式』・『大日本一宮記』・『神社考』其の他の諸書に載せられています。
即ち貞観二年(860)従五位上に、同十五年正五位下に進められ、延喜の制小社に列し
て祈年の国幣に預かりました。のち二条天皇應保の頃(261)には肥前国一の宮とされ
、亀山朝に弘長元年(1261)正一位を授けられました。このようにして一国宗祀の主
要な地位を占め、五月、八月の神事に際しては、国衙の役人による奉仕がありました。
鎌倉時代に入ると、院宣並びに「関東御教書」を賜り、肥前一箇国平均の課役により社殿
の造替遷宮を行いました。後醍醐天皇元亨二年には後宇多院の院宣並びに幕府の御教書を
賜って、本殿以下の造替を行い、八月二十九日を以て遷御の儀を執行しました。
社領も、付近一帯に地にわたり、四条天皇仁治年間(1240)には、二百七十余町の神
佛事料免田を、更に伏見天皇正應年間(1388)には、一万三千四百七十余町の造営免
田を有するに至りました。
室町戦国時代には、地方豪族、武門、領主、藩主から肥前国鎮守一宮として篤く尊信され
、しばしば、神領に寄進、公文書、祈願等がなされた事は、その蔵する多数の古文書、或
は鍋島家の文書から知ることが出来ます。こうして社領として田畑三五〇町を保持しまし
た。
別名河上神社、俗に「淀姫さん」とも呼ばれています。
旧社格県社(明治四年)。戦前は、国幣社昇格を目指しましたが、終戦後の制度廃止によ
り実現しませんでした。

《祭典》 1月1日    元旦祭
     4月18日   春季例祭
     11月18日  秋季例祭(新嘗祭)

《社殿》 本殿  五間社流造、側面四間
     幣殿  正面一間、側面四間
     拝殿  正面五間、側面三間、入母屋造、唐破風付、別棟神饌所付

     ※昭和61年、「県重要文化財」に指定。
     ※平成25年、「佐賀市景観重要建造物」に指定。

                                「由緒書」より

アクセス

【JR佐賀駅より】
JR長崎本線佐賀駅下車、バス20分。「川上橋」バス亭下車。

【高速】
長崎自動車道佐賀大和インターチェンジより国道263号を北へ車で3分。


PAGE TOP