筑紫神社

神社のご案内

【延喜式神名帳】
 筑前國三笠郡
 筑紫神社(つくしのかみのやしろ)〔名神大〕

  • 神社名:筑紫神社
  • 神社名カナ:つくしじんじゃ
  • 鎮座地:〒818-0024 福岡県筑紫野市原田2550地図はこちら

御祭神

筑紫の神 (つくしのかみ)     ※筑紫の国魂・筑紫の国号起源・氏神様
玉依姫命 (たまよりひめのみこと) ※縁結び・子孫繁栄の神
坂上田村麿(さかのうえのたむらまろ)※武家の神・必勝、戦いの神

由緒

祭神を筑紫の神といい、筑紫の国魂である。奈良時代の「筑後国風土記」の神話によると
『筑前と筑後の境となる山に荒ぶる神がいて、峠を往きかう人を多く取り殺していた。
その神は命尽(イノチツクス)の神と呼ばれた。後にこの神を祀って筑紫の神と呼ぶよう
になった』とされ奈良時代以前から当社は在ったと推測される。筑紫の語源は、当社の神
号から起こった。
筑紫の神が白日別神(しらひわけのかみ)・五十猛神(いそたけるのみこと)という説も
あるが断定は出来ていない。後世に玉依姫命(竈門神社より勧請)、坂上田村麻呂を祭祀
した。
当社は延喜式神名帳(927)に名神大とあり、朝廷より尊崇されていた。日本三大実録
によると『貞観元年(859)に筑紫神社従四位下を奉授され、元慶三年(879)に筑
紫神社従四位上を授く』とある。類聚符宣抄に天元二年(979)の官符に『住吉・香椎
・筑紫・竈門・筥崎等の宮は大宮司を以て、その貫主となす』とある。
鎌倉時代から筑紫村の地頭職であった筑紫氏が社司を兼ねていた。その後、、享徳二年
(1453)社殿が造営された。(それ以前にも社殿はあったと推測されるが記録として
は残っていない)
筑紫氏は応仁・文明の頃より筑紫村を去り勝尾城(鳥栖市)に移居し武威を振るっていた
が、島津氏により落城した。神領は没収、神宝や古文書類も兵火にかかり当社は荒廃した
。寛文二年(1662)に荒廃した社殿を再建、延宝八年(1680)火災で焼失したが
再興した。古い石の鳥居は元禄十二年(1699)に建てられた。拝殿の「筑紫宮」の額
も同年に寄贈された。現在の本殿は貝原益軒の愁訴により正徳二年(1712)に黒田藩
主から資材を賜り再建されたものだ。明治維新の近代社格制度により、明治五年(187
2)に郷社に定められた。明治四十四年(1911)に上原田の若宮神社が飛地神幸所境
内地として編入された。大正四年(1916)には県社に昇格した。昭和九年(1934
)には拝殿が造営され、昭和六十三年(1988)には筑紫神社幣殿を中心とした改築、
五所神社、若宮神社の建て替え、金刀比羅社の改築が行われた。

《祭典》 1月1日・2日・3日  歳旦祭
     3月15日       粥占祭(春季大祭)
     7月19日       およど(夏祭)・夏越の祓
     10月20日      例祭(秋季大祭)

     ※粥占祭は、当社に古くから伝わる伝統神事であり、二月十五日に炊いた粥を
      鉢(文化二年造)に盛って神前に納め、三月十五日に粥面に生えたカビの
      色合いと毛草によりその年の作物および風水病害の判断をするものである。
      筑紫野市無形民俗文化財に認定されている。

                               「境内案内板」より 

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